私がApple Watchを買わない理由
雑記
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投稿 2014/11/01
更新 2022/09/17
Apple Watchが発売になりますね。何だか斬新そうで、今までのライフスタイルを一変させる可能性に期待して飛びつきたい人もいると思いますが、とりあえず様子見している人が多数派だと思います。私個人としては、多くの人と同じでやはり今のところApple Watchにいまいち惹かれていません。
確かにApple Watchもとい腕時計型ウェアラブルデバイスは、スマートフォン・タブレットに次ぐ現代人の生活に欠かせないほど便利なガジェットへと成長していく可能性を秘めていると思います。それに私自身、今まで様々なガジェットを買って当サイトでもレビューを載せてきたような新しい物好きです。
にも関わらず、もしかすると私だけかもしれませんが、価格的な理由で買う気にならないという以上に、現時点ではそもそも腕時計型ウェアラブルデバイス自体あまり欲しいとは思えないのですが、今回その理由について自分なりに答えを出してみたので、個人的に考えていることを書き留めておきたいと思います。
Apple Watchの腕時計としての完成度は高い
タイトルにもある通り、私は「腕時計が好き」なんです。特に昔ながらの機械式時計が好きで、Apple Watchにいまいち魅力を感じないのは、本当にそれ以上の理由はありません。一方で、このような今までになかった新しいデバイスが出てくることに否定的な感情もまったくありません。
もちろんApple Watchの電子デバイスとしての利用価値は認めざるを得なくなる日もきっと遠くないでしょう。将来的にはスマートフォン同様どんどん進化していって、自分たちが今想像するよりもずっと便利な世の中が来るのかもしれません。
今のところ単なる腕時計としての機能のほかに分かっているのは、心拍数が測れるということ、iPhoneの通知を受け取ったり電子マネーを使えたりと、カジュアルな活動量計としての機能プラスアルファで「スマートフォンの子機」としての役割が中心になりそうですね。現時点でそれがどこまで便利なのかはまだ分かりませんが。
将来的にはバッテリーがかなり長持ちするようになって充電がほとんど必要なくなったり、液晶が高解像度化して見られる情報量が増えたり、センサー類も進化して心拍数だけでなく血糖値や血圧なんかも測れるようになってくれれば、私たち21世紀のライフスタイルにも大きな影響力を持つものになるかもしれません。
一方で、Apple Watchを純粋に「腕時計」としてみたときに、初代モデルにしてはデザインや完成度の高さには目を見張るものがあると思います。ケースの出来はすばらしいと思いますし、ストラップも特にメッシュタイプなんかは質感が高く、高級腕時計の世界にも通じるものがあるように見えます。
中でも世界中の腕時計好きに注目されているのが18金モデルだと思いますが、腕時計の世界ではケースが金無垢なだけで、それだけでクォーツだろうが機械式だろうがムーブメントの出来や中身に関係なく最低50万はしますので、これがアップルの製品となるとどれくらいの価格で市場に殴り込みを掛けてくるのか、少し興味があります。
いずれにしても、まだ市場で目の肥えた消費者の厳しい評価にさらされていない初代のモデルからこれだけのクオリティを達成しているのは、さすがアップルと唸る人も多いのではないでしょうか。世界中の富裕層の物欲を刺激する訴求力の高さは光っていると思います。
Apple Watchの持つ根本的矛盾
ですが、そんな風に完成度の高い「腕時計」として見ていくと、Apple Watchが生まれながらに持っている根本的な矛盾に気づきます。しかもそれは、時計としての完成度が高ければ高いほど拡大するという性格をもつ、どうしようもない事実です。
それはApple Watchが所詮「電子デバイス」に過ぎないということ。見た目は腕時計の体裁をしていますが、あくまで中身は電子デバイスやガジェットの類で、たった数年、早ければわずか1年で陳腐化して価値を失うという運命を背負って世に送り出されるという点です。
私が思うに腕時計というものは、買った直後よりも長い時間を掛けて大切に使い込んで、メンテナンスをしながら使い込むほど愛着が湧いてきて、良い意味での渋みや味わい深さが出てきて、自分にとっての価値はあがっていく。そんなふうにモノを大切にする楽しみが根底にあるのではないかと。
大げさな言い方かもしれませんが、童謡の「おじいさんの古時計」のように、人生の長い時間をともに過ごすパートナーとして沢山の思い出や自分の人生がそこに詰まっていく、そうやって大切に育て上げて、ものによっては子供や孫にも引き継がれていく。そういう性格の文化として多くの人に愛でられて来たんじゃないかと思います。
今でも亡くなった親や兄弟の形見として腕時計を大切に持っている方が世の中に多くいると聞きますが、それはその人の人生がそこに詰まっているから。腕時計というのは、私たちが肌身離さず身につけているもので、そういう長い時間をかけた楽しみ方のできる唯一のアイテムでもあるんです。
対してApple Watchは、長くとも数年で使い捨てにされるという前提で作られているわけですから、どれだけ高価で品質が高くとも時間をかけて使い込むことはできない。腕時計としての完成度が高ければ高いほど、長く使いたいのに使えないという矛盾が大きくなってしまう。
Apple Watchを腕時計として見たとき、そんな相反する2つの側面が見えてきます。もちろん、こんな考え方が実に古くさくて時代にそぐわないものだということは十分に理解しているのですが、腕時計が好きな私としては、この部分がどうにも受け入れ難いのです。
腕時計が世界的に普及したきっかけが第一次世界大戦と聞きますから、今からちょうど100年前。Apple Watchには、人々がそうやって100年かけて培ってきた文化を壊してしまう、完全にはなくならないとしても大きく縮小させてしまう可能性がある。それくらいの斬新性があるんじゃないかと思います。
Apple Watchにアクセサリー性はない
一方で、そんな大げさなこと考えずもっとカジュアルに、スマホと同じ消耗品のガジェットとしてApple Watchを楽しめばいいんじゃないか。
そんなことも少しは考えますが、私のように普段から愛用している腕時計がある者にとっては、Apple Watchが入り込む隙がないのです。「右手に自分のお気に入りの腕時計を、左手にApple Watchを」なんて出来ません。時計をはめる腕は一本しかないのですから。
じゃあ外に仕事に行くときは従来の腕時計を、休みの日にはApple Watchを使えばいいんじゃないかという考え方もあるかもしれませんが、そもそも毎日装着して始めて意味のある活動量計だったり電子マネー決済機でもあるという前提を考えると、これもちょっとナンセンスです。
また腕時計というのは、男性が時・場所・立場を気にせずいつでも堂々と付けていられるという意味で、いわば「男性に許される唯一のアクセサリー」でもあるんです。Apple Watchは、そういう装飾品としての楽しみ方とは全く縁がなさそうです。
というのも、Apple Watchがデバイスとして本当に便利なものなのか、実際のところそうでもないのか、いずれにしてもあのアップルが世に送り出すのですから、何だかんだでそれなりに買う人は多いはず。ですが、そうなると仮にApple Watchを買ったとしても街中に自分と同じ「時計」を身につけた人が大勢いることになります。
そんなものがアクセサリーとして楽しめるだろうか?と考えたとき、ほとんどの人にとって決してイエスという答えは出てこないでしょう。ストラップやケースで他人との違いを生むことも出来なくはありませんが、たったそれだけでは、そこに自分の個性だったりセンスが入り込む余地はほとんどありませんから。
そうやって考えていくと、現時点ではApple Watchには既存の腕時計が持つ様々な魅力を超えるだけのものはないと思うのです。これから先何年もかけて他社との競争に晒されながらどんどん改良されていって、そこに腕時計を超えるだけの価値を見いだせるレベルにまで洗練されたとき、はじめて自分も興味を持つんじゃないだろうか?そんな風に考えています。
Apple Watchの功罪
Apple Watchにはきっと、生活を豊かにするという大きな期待の一方で、上に述べたような既存の文化を壊すという負の側面もあるんだろうと思います。ですが、古い文化は新しい文化によって刷新されていくのが世の常ですから、憂うようなことではないのかもしれません。それが今後の世の中どうなっていくのか、少し楽しみでもあります。
また、将来的にApple Watchのような腕時計型ウェアラブルデバイスが当たり前の世の中になれば、社会人のマナーとして最低限そこそこ値の張る腕時計の装着を常に求められる日本の男性社会において、それを他人と比較されたり見せびらかしたり、そんな風潮に嫌気がさしている人にとっては朗報になるでしょう。
なぜならば、高くてもわずか数万円程度のデバイスさえ身につけてさえいれば、そもそもこんな不毛なやりとりに巻き込まれなくて済むのですから。腕時計という文化の良い面を破壊する一方で、同時にそういった悪い面も一掃してくれるかもしれない。Apple Watchは実に多くの可能性を秘めていると思います。
そんなことを考えつつ、結局のところ腕時計が好きな私の個人的な意見としては、Apple Watchという選択肢が増えることはとりあえず歓迎するとして、これをきっかけに今まで機械式の腕時計に興味がなかったような人たちにも、その工芸品として・装飾品として・人生の良き相棒としての魅力に気づいてくれたら嬉しく思います。
Apple Watchのような電子デバイスの根底にある「役に立つ・役に立たない」という発想とは距離を置いて、単純に「モノ」としての良さを見出す。生産性や効率ばかりを求められる窮屈な現代社会において、そんなゆったりとした楽しみ方ができる腕時計も悪くないと思うんです。
はまってしまうとお金が掛かって仕方ない世界ですが、無理しなくても買える範囲で是非一つお気に入りの腕時計を見つけてみませんか?今の自分が手を出せる価格のもので良いんです。自分にとって愛着を持てるものであれば、価格による優劣はありません。きっと、人生にささやかな華を添えてくれるアイテムになるはずです。