ブログを書く理由とは一体なんなのか?

特集 約4分で読めます 更新日:2019/11/19
ブログを書く理由とは一体なんなのか?
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記事公開日 2008年10月30日
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多くのブログで「人はなぜブログを書くのか」について述べている記事がよくあります。インターネット上に「ブログを書く理由」がたくさん載っていますが、今回は私自身の考えを記したいと思います。詳細は続きで。

※わからないこと等がございましたら、お気軽に掲示板やメールでお聞きください。

※私は心理学は本当に触れる程度しか学んでいなうえ、ほとんど忘れてしまったので、一般的な心理学等を交えて書いているわけではありません。全ては私自身の勝手な考えです。あらかじめ、ご了承ください。

誰もが著者となれる

さて。皆様は「本の著者」と聞くと、どのようなことを思い浮かべるでしょうか。「立派」「教養がある」等のように考える方が圧倒的に大多数を占めているはずです。それは「考え・論理・自らが生み出した世界」を「世間に向けて発信」しているからだと私は思っています。さらに、それらは「全て正しいもの」という認識も同時に起こっています。

実際にところ、「全て正しい情報」だとは言い難いです。これはテレビや新聞の報道を全て信じてしまう現象と同じですね。世間の無意識に左右されるというのは人間なので仕方のないことです。私自身もそうですからね。

そのような世間の無意識で「立派・えらい」という権限に立っていた「本の著者」ですが、インターネットの発展とともに、ホームページも数え切れないほどになりました。ホームページでは、「自分の考え・論理・知識・世界観」を「世間に向けて発信」することができます。これは本を出版するよりもはるかに容易なことです。

「立派・えらい」という権限に立っていたところに、容易に上がることができるようになったのです。勿論、本と違ってその情報に対価が支払われるわけではありません。ただ、その権限を手に入れたことというのが無意識のうちに「うれしい・楽しい」という感情に結びつきます。

さらに、ホームページよりもはるかに簡単に情報を発信することができるシステムが開発されました。それがこのブログです。ホームページはFTP設定等の壁がありますが、ブログは登録するだけで簡単に自分の情報の発信源を作成することができます。これが、まずブログがとても流行した一つの要因だと考えています。

ブログの分野

ブログにも様々な分野があります。「日記」が代表例ですが、他にも「乗り物」「アウトドア」「スポーツ」「パソコン」「アニメ」「ゲーム」「映画」「音楽」「経済」等の数え切れないほどの分野があります。これらは、たいていの場合「情報発信者の趣味・知識領域」と重なっています。

人間というのは、知識を得ることでも快感を得ることができますが、知識を発信することでも先ほどのように「うれしい・楽しい」という感覚を得ることができます。自分が持っている知識の分野についての情報発信源を作成して、より効率的にユーザーに自らの知識を発信することができる。

自分が知らない分野は、「あるだけ」の存在であり、関係の薄いものです。それらを発信するすべもなければ、する気もない。なので、ブログの分野は自らの興味がある方向に向いていると考えられます。当たり前のことですが、背景には無意識に「より多く情報を発信するため」の手段を増やすためという感情があるはずです。

分かりやすくするために、私を例にとりましょう。私はパソコンについて、少なからず興味を持っています。プログラミング等は一切勉強していませんですし、今さらやっても遅いです。ただ、パソコンが好きです。この時点で「パソコン」にブログの方向性が傾きます。さらに、最近は「軽量・シンプルなソフト」を好むようになっています。

過去に数ページ戻っていけばお分かりになると思いますが、最近は「軽量・シンプル」等の特化したソフト等の紹介が目立っていると思います。それは「パソコン」という大きな分野内部で、私の「興味・関心・知識」が「軽量・シンプル」に向いたからです。もし私が「UG・違法行為」等に興味を持つようになれば、このブログの内容はその方向へ向かっていくでしょう。現時点では、あり得ないですがね。

自分を公開することの快感

人というのは、団体社会(家・学校・会社等)にでたら「個性を完全に出し切ることは、ほとんど不可能」です。その団体の中に、自分を完璧に理解してくれている人がいるでしょうか。もし、いるとしたらそれは非常に凄いことです。なので、団体内部では、個人差はあるものの自分を出しきってはいません。

人はよく「自分を理解してくれる人を好む」と言いますが、それは人間が無意識に「自分を出し切りたい」と感じているからでしょう。現実世界では、それはほとんど不可能です。では、いったいどうすれば自分を出し切ることができるのでしょう。文章にしてしまえば、自分の全てを書きなぐることができます。

しかし、人間は書いただけでは満足はできません。書いて、だれかにそれを見てもらうか、欲を言うと理解してもらいたいからです。そこで、先ほど紹介した「情報発信が非常に容易」なブログが大活躍するわけです。ブログを使えば、完全に出し切ることはできなくても、少なくとも団体社会にいるよりは自分を出すことができます。

私自身は、あまり自分を出しているわけではありませんが、少なからず「アニメ」が好きであるという、世間の目で見ると、まるで汚点であるかのような趣味を恥をかかずに公開できます。現実世界での私を特定できないこの世界では「汚点だ!」と言われても、現実世界には関係のないことです。なんだか、ひどいことを言っているように感じるかもしれませんが、貴方も無意識にそれを理解しているはずです。

自己満足?いや、一概にそうとは言えない

自己満足でブログを運営しているという方も、いらっしゃると思いますが、そうではない方もいらっしゃいます。「自らの知識を書くことによって向上できる」という点からブログを運営している方も大勢いらっしゃいます。自分自身を「著者」へと成り上がらせずに、「一個人」としてブログを記すことによって、コミニティをはかろうという方もいらっしゃいますね。

情報を発信すること自体、自己満足だと考えると、本当に全てが簡単に整理がつきますね。「ブログ発信者は全て自己満足だ」と言ってしまえばいいだけなのですから。しかし、それではおかしい点が出てきます。先ほどの例は自己満足ではなくて、純粋な向上意欲や交流意識です。これらも自己満足としてしまうのは、どうかと思います。

先ほど述べた例だけではなくて、考察・論理等は「世間に発表しなければ」ただの秘め事になります。私のように自己満足で、このような考察を書いている方だけではないですよね。もしかすると、とても大きな論理かもしれません。これは発表しなくては意味がないです。このような考えは自己満足とは一線を超して違うものと言えるでしょう。

最後に

なんだか、自分で書いていて頭が痛くなりました・・・。見なおしてみると、見事に矛盾してる点があるではないですか・・・。でも、これ以上の表現を思いつけないので、このような表現を使いました。心理学部に入っていれば、このような点も容易に解釈できるようになるのでしょうかね・・・。

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